『まずは変革しか考えない』、『変化に対してごちゃごちゃいううるさい奴は斬り捨てる』というのがワシの生き方ですので、過去は振り返らない、斬り捨てた奴のことは覚えていないようにしてるのですが、毎年iTeachersカンファレンスを前にするときだけは、昔の自分が考えてきたことを思い出すようにしています。
<iTeachersカンファレンス2019年申込みサイト>
https://itc2019.peatix.com/
16年前に出版された本があります。
eラーニング実践法―サイバーアライアンスの世界 青山学院大学総合研究所AML 2プロジェクト
この本を2003年に書いた時、ワシはまだ30歳くらい。出版されたのは青学を辞める直前だった。
1998年の年末にAML(AOYAMA Media Lab.)プロジェクトに参加し、ITによる教育改革を夢みて活動してました。やはり、最も重視していたのは、教育の理念と手段との一致(アライメント)だったんですね。理念だけでは空念仏になるし、手段だけでは嘘くさい現実主義に陥る。当時からそう考えていたのでしょう。
前書きにこんなことを書いてある。我ながらすごい挑戦的だ。
(ただ、eラーニングの定義がやっぱり広いなぁ。当時の最広義ですね。いまでいう教育×ICTの意味で使っています。)
「昨今、eラーニングというタイトルを冠した著書を多く見受けられる。あらためて、それらを見ると、あたかもe ラーニングによって輝かしい未来があるといわんばかりのeラーニング振興という意図や、大学や企業の宣伝もかねた「 こんなすごいことができます」的な啓蒙的な内容という印象が強い。私たちはそれらの動向に対して危惧を抱いている。
本書の目的は、"学び"というもののあり方を、あらためて世に問い直すことにある。
(中略)
大学に企業にしろ、本当の意味での教育のパラダイムシフトとは、教える側と学ぶ側の双方の意識改革である。まず教える側が"学習者主体の学び"となるよう教育改革を目指し、教育方法、授業設計、教材開発などの仕組みを変えていくのである。
(中略)
その一方で、学習者も変わらなければならない。
(中略)
学習者はまず自分にとっての真の学びとは何かをあらためて考える必要がある。
このように教える側と学ぶ側双方のパラダイムシフトのために、eラーニングを活用するのである。逆に言えば、このような認識なしにeラーニングを導入しても、単なる授業のデジタル化で終わりかねない。まさしく、「新しいぶどう酒は、新しい革袋にいれねばなりません。」(聖書 ルカによる福音書 第5章38節)なのである。」
なお、この本でワシが執筆したところを簿記大好きな会計学者に読まれると怒られるだろうなww
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